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マリア・アレクサンドロヴナ (ロシア皇后) : ミニ英和和英辞書
マリア・アレクサンドロヴナ (ロシア皇后)[きさき]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

皇后 : [こうごう]
 【名詞】 1. (Japanese) empress 2. queen 
: [きさき]
 【名詞】 1. empress 2. queen

マリア・アレクサンドロヴナ (ロシア皇后) : ウィキペディア日本語版
マリア・アレクサンドロヴナ (ロシア皇后)[きさき]

マリア・アレクサンドロヴナ(, 1824年8月8日 - 1880年6月3日)は、ロシア皇帝アレクサンドル2世の皇后。ヘッセン大公女マクシミリアーネ・ヴィルヘルミーネ・アウグステ・ゾフィー・マリー・フォン・ヘッセン=ダルムシュタット()として生まれた。
== 出生 ==
マリーは、大公妃ヴィルヘルミーネ・フォン・バーデンが生んだ7人の子のうちの末子だが、ヴィルヘルミーネの生んだ子供たちのうち下から4人の父親は、彼女の愛人アウグスト・フォン・スナルクラン・ド・グランシー男爵だった。醜聞を避けるため、夫のヘッセン大公ルートヴィヒ2世が4人を認知したのである。このため、4人のうち生き残った2人、マリーと兄アレクサンダーは、大公の住むダルムシュタットではなくハイリゲンベルクで育てられた。
1838年、結婚相手を求めてドイツを旅していたロシア皇太子アレクサンドルは、14歳のマリーを見そめた。彼は、マリーが「不義の子」であることを承知で結婚を決意し、難色を示した母・皇后アレクサンドラ・フョードロヴナを押し切った。2人は1841年4月に婚配機密を受け、マリーは名をマリア・アレクサンドロヴナに改めた。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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